念頭のご挨拶~日野病院開院70周年及び移転新築10周年~ -平成23年1月
明けまして、おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年は開院70周年と移転新築10周年が重なり、日野病院にとりまして大きな節目の年となりました。多くの方々からお祝いのお言葉をいただき、心からお礼申し上げます。
日野病院が歩んだ70年の道のりは、決して順風満帆なものではありませんでした。私の知る限りでも、3回の危急存亡の危機がありました。1つ目は、平成6年の鳥取西部農協の移管拒否でした。当時の日野病院の経営母体は郡内4農協により組織された厚生連でした。それらを含む鳥取県西部一円の16農協が広域合併することになったのですが、その際に、新しい農協、後の鳥取県西部農協では日野病院を移管することに反対する農協が多数を占めたのです。2年半におよぶ困難な協議の後、日野病院は平成8年に日野、江府、溝口の3町による一部事務組合、すなわち日野病院組合に移管されました。
2つ目は、平成12年の鳥取県西部地震でした。その頃の日野病院(旧病院)は、築60年にならんとする老朽化した建物でしたが、幸運にも倒壊を免れました。その結果、74人の入院患者さんを全員無事に避難させることができました。しかし、4階に設置された受水槽が破損し、窓ガラスは割れ、壁には多くの亀裂が走るなど大きな損害を受けたため、内部への立ち入りは禁止されました。普通なら長期間の診療停止を強いられたでしょうが、何とその時に現在の日野病院(新病院)が完成していたのです。地震発生から僅か1ヶ月後には新病院で診療が再開されました。
3つ目は、病院の移転新築以降の経営悪化でした。特に平成17年度は資金収支で約8,500万円の赤字を計上しました。主として医療機器と病院建物の元利償還金と退職給与金の支出が増えたためです。翌年からは経営状況は徐々に好転することになる訳ですが、その要因の1つが「出かける医療・近づいていく医療」への転換でした。これにより在宅療養支援病院に認定されたり、亜急性病床の拡大が可能となるなど、診療報酬の増額が図られました。さて、都会と地方における医師の偏在や、医療者の高齢化など、中山間地の医療を取り巻く環境は従来にも増して厳しくなっています。そんな中で、日野病院が今後も存在し続けるために何が必要なのでしょう。行政や福祉施設などとの広範な連携、他の医療機関との機能分担など考えなければならない課題は多々あります。しかし、一番大事なのは地域に必要とされる、あるいは住民に愛される病院であり続けるいうことです。では、住民に愛されるためにはどうすればいいのでしょう。
「何か人の役に立つことをしたい、しなければいけない」という思いは大切です。しかし、本当に望ましいのは、「人のためになることが楽しいからする、自分自身が喜ぶからそれを行う」ということです。地域や住民に愛される病院になるためには、職員1人1人が地域や住民を愛さなければなりません。そのためには、「出かける医療・近づいていく医療」をさらに拡大する必要があるということを申し上げたいと思います。最後になりましたが、今年が皆様にとりまして安寧で健やかな年でありますよう祈念いたしまして、年頭のご挨拶とさせていただきます。
平成23年1月